GcG

提供:ホワイトサイド日本語版 - ウィキペディア日本語版運営史まとめwiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
GcG
アラニン。トリプレット暗号での表記は「GCG」。
アラニン。トリプレット暗号での表記は「GCG」。
アラニン。トリプレット暗号での表記は「GCG」。
旧利用者名 femtowaros
トリップ ◆EAtZ/Y7r6.
Twitter lastoresorter
活動期間 2005年8月 - 2010年3月
主な活動分野 化学分野、社会分野、サブカルチャー分野
主な活動実績 化学系分野の発展
主な執筆記事
超撥水不凍タンパク質結婚活動

GcGは、ウィキペディア日本語版の利用者。2009年より無期限ブロック済み。

概要[編集 | ソースを編集]

2005年から活動。旧名は「femtowaros」(フェムトワロス)。2000回にも満たない投稿履歴の中で、数々の伝説を生みだした。かつては優秀な執筆者であり、社会科学系や自然科学系、ネットカルチャー系など手広い範囲での手堅い執筆活動を見せた。特に本職は理科の教師であった[1]ことから、当時はあら金akane700NoSaitoQncSu-no-GCalveroらと共に化学分野の隆盛を支えた。ただし皮肉屋で挑発的なGcGは、当時はまともでモラルを重視する傾向が強く自警的な一面を持ち合わせていたakane700とはよく口論になることが多く、化学系記事に留まらず各方面でしばしば意見が衝突することがあった。また、同じ2ch組のYassieNekosuki600Loniceraらとも仲が良く、かつては揃ってAphaiaNiKeの圧政への抵抗、HatukanezumiClarinYukichi99iwaim…らとのバトルに臨んだ。しかしかねてより、要約欄で悪ふざけをしたり暴言を吐いたり2chのノリを持ち込んだり関係無いことを書いたり不謹慎発言をしたりと、不適切な要約欄の使い方で知られていた。後述の経緯から元管理者の海獺には殺意を抱くほどの強烈な逆恨みを抱いており、彼が辞任した際は赤飯を炊いて喜んだらしい。

経歴[編集 | ソースを編集]

2008年:初の長期ブロック[編集 | ソースを編集]

硫化水素の画像

上掲のような姿勢から周囲に疎まれたこともあってか、2007年までには3度もの短期ブロックを喰らっていた。そして2008年には遂に海獺が動き、2月には短期ブロックに追認依頼を被せて1ヶ月への延長に持ち込む。しかし復活したGcGは4月には今度は硫化水素にて物質の生成方法を記述、ノートにて問題無しとの主張を述べたが、これが当時のコミュニティの逆鱗に触れ[2]る。そして要約欄「死にたいなら勝手に死ねよw」との発言が決定打となって再び海獺の短期ブロックを喰らい、さらに赤井彗星追認・延長依頼を提出され、結果おはぐろ蜻蛉によって5年もの超長期ブロックを受けてしまった。しかしこの期間設定については、ウィキペディア内外において長すぎるとして若干の疑義が呈されており、ちくり板スレでGcGはおはぐろ蜻蛉に必ず報復することを誓った[3]

2008年12月~2009年3月:一度目の復活[編集 | ソースを編集]

その後の12月にはMLでGcGを名乗る人物が解除申請、Cproが提出した解除依頼により5年ものブロックから解き放たれる。ところがその直後、MLで同じアドレスを利用する人物が、当時jawpで一大騒動を巻き起こしていたFXSTの靴下Clubpathに対し、「ブロック解除に一番大切なのは、相手の自尊心を満足させてやること」さらに、「私も試してみたら本当に解除されて心の底から笑いました。ああやっぱりね、と(笑)」と、先の反省は全くの虚言であったことを堂々と宣言、その後もClubpathに荷担して騒動を過熱させた。

翌2009年2月には作成保護中のポケモン・アルセウスのノートにて、管理者への弾劾演説と共にWikipedia:信頼できる情報源を満たさない情報源を元に改造データの情報の捻じ込みを目論み、IPユーザーに叱られる。そして3月にはかつてイングランドで使われていた面積の単位の記事「ハイド (単位)」にて、ついにムック本を出典にネットスラングとしての「1ハイド=156cm」の捻じ込みを敢行、業を煮やしたKoba-chanによって裁量での5年間のブロックの掛け直しが実施された。

しかしこの長期の投稿ブロックは、追認依頼すらもmiyaが代理で行うという杜撰さから、当初は手続き不備を理由とした即時解除を求める意見が殺到するも、翌日依頼に姿を現したKoba-chanは21KBもの長文で自己正当化に終始[4]、中には「二十歳過ぎまでに治す気のない習慣はそうそう簡単に治るものではございません」といった個人攻撃や、「小学生にいきなり高等数学を教えても理解できないのと同様に、現在の皆さまのご判断と私自身のブロックに至るまでの判断が異なるのは明らかです」と参加者達を小学生と揶揄するようなフレーズも含まれていたことから反感を買い、それに対し怒り心頭のGcGがKoba-chanの会話ページに殴り込みを掛けるといった事態にまで発展[5]

そして依頼のノートページでは、先述のMLでの不適切発言に関して、MLでのGcGが本人であるのかどうかまで含めて侃々諤々の大論争が繰り広げられ、そこに当のGcGが突撃してさらに炎上させる。この事態に対し管理者のKinoriは「権限濫用とは判断しないが、追認の取り付けに失敗したので一旦は解除」「投稿ブロック依頼は自身が改めて出し直すので、Koba-chanは関与を行うべからず」と毅然とした態度を取り、再度提出されたWikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20090307では長年の盟友であったYassieが本音を吐露すれば[6]、同じく後に無期限ブロックとなった執筆者のikedat76は「コミュニティの基盤を根本から破壊する荒らし同然の行為」として追放に準じた無期限ブロック票を投じ、中ではGodaigoとKodai99の場外乱闘も繰り広げられた。こうして無期限票が殺到するも、Ridenによる結審は何故か6年間というさらなる超長期の有期限ブロックとなった。

2009年8月~2010年:二度目の復活と再ブロック、そして会話ページ封鎖へ[編集 | ソースを編集]

その後の同年8月にML経由で会話ページが解放されていることを知り[7]会話ページに降臨、ブロックの解除を要請する[8]Ish-ka(現・いすか)との対話によって再びの解除依頼が提出される。依頼ではCentaurusとKodai99らを中心として時期尚早かつGcGは信用できないとする反対票も集まるが、それを賛成票が上回ったためPeccaflyにより解除された。

そしてしばらくは真面目に執筆に勤しんでいたが、しかしながらここでまたしても問題行動に及んでしまうのがGcG。徐々に本来の性格が蘇り、各地の要約欄で全盛期をも上回るほどの勢いで大暴れ(ふざけ、要出典厨に対する、さらには個人の主張の発露まで広範囲に渡った)。年末にはノート:ナプキン (生理用)にて、使用済みナプキンの画像を除去しようとする勢力から画像を守るために暴走していたところを海獺に見つかって諭された。

そして年が明けた2010年2月、オフライン上で職務質問を受けたことをウィキペディアに持ち込み、記事「職務質問」にて意味不明な呼びかけと共に低質な画像を挿入したことが決定打となり、またもや海獺によって通算8度目となる投稿ブロック依頼が提出された。しかし当初は本人も些細なことだと思っていたためか楽観視していたようであり、また当時は海獺の独裁が全盛期を迎えていた時期であったことから依頼自体を「気に入らない者の弾圧」と捉える向きもあったことから、実施にKs aka 98の賛成票の直後にはNekosuki600Yassieが続け様に「手続き不備の報復依頼」として反対票を投じる(Yassieは後に撤回しコメントに格下げ)。

しかしその後はノート:ナプキン (生理用)でも対立したakane700やWas a bee、2008年の解除依頼を提出したCpro、さらにはGA執筆者の光舟までもが無期限ブロック票を投じ、3月6日、ついに無期限ブロックが決定。しかしブロック後も一悶着を起こし、会話ページを白紙化して対処者のBellcricket差し戻されると、今度は自身が「確信犯」であったことを表明する25KB超にも及ぶ長文演説を投稿、以降も8KBの追加メッセージを投稿するなど、最後の最後まで抵抗した。

同月10日にはひとむらによって継続前提の解除依頼が提出され、同月11日にはNoche de la penaの裁決によって会話ページの編集も禁止、事実上の永久追放を受けるに至った。最終的に投稿ブロックの回数は延長・条件変更を含めて2桁の10回越えとなった。その後しばらくはMLや2chで暴れており、akane700が後を追うように無期限ブロックとなった時にはMLでウィキペディアへの破壊行為への加担を呼びかけていた<ref>akane700のブロック直前にも、英語版で解除依頼の指南を申し出ていた

年表[編集 | ソースを編集]

脚注[編集 | ソースを編集]

  1. 自身の利用者ページの過去版より。
  2. ちょうど硫化水素による自殺が多発し問題になっている時期だった。硫化水素#社会問題参照。
  3. ちくり板住人がWikipediaを弄るスレ 第10刷。◆EAtZ/Y7r6.がGcG、◆sMt4YbtR06がYassie、「ら」が海獺。Yassieが「とりあえずまず半年ローカルで記事書き溜めてろ。で、半年経ったらMLで反省コメント+執筆専念宣言言え」と宥めている姿が見られる。実際にGcGが復帰したのも半年後であり、そこではYassieが進めた通り反省コメント+執筆専念宣言を口にしたが、後述の通り反省コメントは全くの嘘であったことが判明した。これはある意味Yassieの責任とも言えるかも?知れない。海獺はGcGにメールを寄越すように要求するも拒否され、そのためYassieに対してメールを送ると、GcGは今度は海獺およびYassieに対しても「脅し役と宥め役の使い分け」と侮蔑した。
  4. ちなみに、かつてのShigeru-a24の投稿ブロック依頼にてみしまるももが記載したコメントは約12KB。
  5. その後Koba-chanは健ちゃんによってコメント依頼を提出され、各方面から散々に糾弾を受けた。そしてこの時は解任を免れるも、その5ヶ月後には議論相手だった氷鷺を別件の言い掛かりでブロックしたことが決定打となり、コメント依頼を経て、皮肉にもGcGがブロックを解除された直後の9月1日、驚愕の全会一致で遂に解任された。
  6. ちなみにこのコメントは、後にYassieの新たな盟友となるikedat76によって「品位を欠いた私情の吐露はご遠慮ください」とノートに移動された。
  7. ただし2010年の引退声明では、実はブロック中もウォッチしており、当初から存在は知っていたが、敢えて知らなかったことにしていたとのこと。
  8. 以前は投稿ブロック中の会話ページの編集はデフォルトで不可能であり、解除を申請する際にはMLを経由することとなっていた。